ずいぶん病んでいた。
震災前から下地はあった。
フルタイムで働きながら保育所の往復と家事、そして妊娠。
毎週末倒れていたし、口内炎は治らないし、ノロウィルスには何度もかかるし。

そこに放射能がきた。

そして引っ越しと家庭不和。

4月から実家へ帰って、(それは単純に休養のためだった。赤ちゃんが住める物件ではなかった。)倒れていた。
とにかく起き上がれなかったし、外へ出るのも放射能が怖くて出られなかった。
震災から一年という時間は、まったく意味がなかった。渦中以外の何物でもなかった。
それでも夏には散歩をするようになった。
だんだん気持ちが外へ向くようになっていった。
娘の明るさに助けられた。

そんな時に映画「8月の蝉」をみた。
途中から涙が止まらなくなって、声をあげて泣いた。
しゃっくりが止まらなかった。
娘ふたりはそんな私をきょとんとしてみていた。
上の娘が「ママなにそんなにないてるの〜」と笑った。
そうだね、ママ変だね、とまらないよ、とわたしは泣き続けた。

泣き止んでからものすごく頭が痛くなった。
めまいがして視界がゆれつづけた。
横になっても気持ち悪く、頭を抱えてうずくまった。
娘は心配して頭をなでてくれた。

次の日、私は明らかに気持ちが回復している自分に気付いた。
映画を見て癒されたというよりも、映画はトリガーで、自分の感情の
発露となったということだろう。
感情の解放ができずにいた。それはもう震災前から。
我慢して我慢して 震災でまた我慢して我慢して

体やこころの声に耳を傾けずに来てしまった。

癒しとは、とても厳しいものだ、巷で流行っている癒しなんて癒しじゃない、ということをどこかで聞いたことがある。
それがわかった体験だった。

そして2年がたった。
まだまだ渦中だ。でも前へ。