日々
物事には流れがあって、それに逆らってはいけないのだ、ということを。
齢30にして実感している。
無理なく無駄なく。すべてが整えばその日がやってくるのだろう。
その日を、待つ。
わくわくしながら。遥かなものを待つように。
日々
インタネットをはじめてから、なんとなくサイトを持つようになって、今はブログを書くようになった。
私がインタネットを始めた頃はダイヤルアップが当たり前で、はじめてパソコンを買ってネットしたときは、恋人とふたりでわけがわからず、接続を切らずに3時間放置した。
言葉でつながる関係が、ストレートに出るのがこの世界だと思う。
そこにはもちろん嘘があるけれど、それはリアルな世界でもたいして変わらないだろう。
たとえば読書を、とても個人的な作業だと思うけれど、この世界もある意味でとても個人的な世界だ。
けれど同時に、言葉がネットに流れることは、自分の思いが外へ向けて流れていくことでもあるわけです。
伝えたいのは誰に?
多分私は、あなたに伝えたくてこの世界を離れられないのだと思う。
運命があるのなら、不思議でしょうがないの。
今でも私は、不思議でしょうがないの。
いまが幸せだということは、まぎれもない真実なのだけれど。
でも幸せって、殴り倒されるほど圧倒的なものじゃなかったの?
穏やかな幸せがあることを、私は今まで知らなかったから。
おぼえがき
なるべく依存しないように生きていくこと。
特定の誰かに。
特定のモノに。
習慣は可。
これがないと生きていけないの、という状況は作りたくない。
それはひとつの秘訣だと思うんだなあ。
「絶対」とか「永遠」も禁止。
自分自身に使うのはかまわないけれど、他人に(近い人ほど)使うのは禁止。
あと、幸せを恐れないこと。「幸せが怖い」って思ったら、深呼吸して落ち着いて、受け入れること。
幸せになるために生きているということを忘れないこと。
あわせて感謝する心も忘れないこと。
■
大切な友人や家族や(一緒に住むことは苦痛だけれど、嫌いということではないので)好きな人たちを大切だと思う。
大切にしたいと思う。
けれどその手段がわからない。
大切にする手段がわからない。
わりと私は偽善でもなんでもなく、ひとの幸せを祈ることがあるのだけれど、そしてそれはかなり切実に祈るのだけれど、それでは相手に伝わらないよなあ。
そもそも人が人にできることなんてあんまりない。関係することって難しいのだ。私たちはなかなか忙しいし、逢える時間は短い。
だから祈るしかないなあ、私にできることなんて、と思っていた。
でも伝わらないんだなあ、それだけじゃ。
口は災いの元で、なにげなく言った言葉がひとを傷つけてしまう。無自覚なところが自分でも情けない。
伝える手段を、学ばなければいけない。
遅いけれど、遅すぎるということもあるまい。たぶん。
あの、祈るといっても特に信仰している宗教があるわけではありませんので念のため。
■
私は家族づきあいや親戚づきあいが苦手だ。
決して同居はしない。
どちらの両親ともだ。
幼い頃からつらくてつらくて、一人暮らしをはじめたときはあまりの楽さにしばらくは怖かった。
こんなに生きることが楽だとは思わなかったから。
それはたとえば仕送りもらっているからだろう、とかそういうことではない。
自分の稼ぎで暮らすようになってからも、大変ではあるけれど実家に帰ろうとは思わなかった。
苦手なのだ。人と暮らすことがとても苦手なのだ。苦痛以外の何者でもない。
人の時間軸に合わせるということが苦痛らしい。
わがまま?いえ、そうではないのです。19年間我慢したんだから、もう許して欲しい。
人に振り回されることが苦痛です。
人に自分の時間や空間に進入されることが苦痛なのです。
何を苦痛と思うかは人それぞれなのです。